Jerusalem ~聖地エルサレム~


目標220か国訪問の折り返しにあたる110カ国目。
ちょうど世界の半分。
一旦立ち止まって今までの旅を振り返るために、どうしても今行っておきたいと思った国イスラエル、そしてエルサレム、パレスチナ。

 

これまでの旅でたくさんの歴史を学び、人の惨さを学び、愚かな歴史に心が砕け、人とは?平和とは?宗教とは?を繰り返し自問自答して来た日々。
明確な答えが見いだせず漠然とした感覚だけをまとったまま歩き続け、何かにたどり着きたいという思いで、

今なお歴史が揺れ動いている現場を感じとるためにここへ。
ここではあまりにも感じたものが多く、結局ここを旅してから1ヶ月過ぎた今もまだ心の整理がつかないまま。

最初に訪れたのは3つの宗教の聖地とされているエルサレム。
僅か0.9K㎡の城壁に囲まれたエルサレムは、住民と巡礼者、観光客がごった返し、いろいろなものが混在している混沌とした町。
ユダヤ人地区、アルメニア地区、キリスト教徒地区、ムスリム地区と分かれていて、それぞれに流れる雰囲気はやはり少し違う。
街のどこにいても神の存在を感じるような、ここはやはり宗教なしには存在しないと思える場所。

キリスト教徒の聖地、聖墳墓教会

 

キリスト様の体に油香を塗ったと言われる場所には口づけをする信者が後を絶たない。

 キリスト様のお墓は祈りを捧げる巡礼の人たちで朝から行列が。

モスリムの聖地、岩のドーム

  バンザイをした写真は怒られてた。

ユダヤ教の聖地、嘆きの壁

純粋な祈りと敵対するものへの疎み、激しすぎる信仰心と無信仰の好奇心、祈りや嘆き、いろいろな人間の感情が街中に渦を巻き、独特の空気感を作り出す。聖地の神聖な空気というだけではなく、それぞれの宗教の歴史の重みが合わさっているからなのか。
いつか私にも、ここまでのパワーを持って崇め、またすがるものが現れるとすれば、彼らがいう心の解放という束縛に耐えられることができるのだろうか…。

 

 狭く入り組んだ路地にお店屋さんがぎっしり

隠れ合うように、目隠しするように、道が多岐に分かれていて、今いる場所を見失う。
天使に誘われるように秘密の小道へ迷い込む。
神に導かれたかのように突然の広場に辿り着く。
地面を歩いていたつもりが、いつのまにか2階の路地を歩いている。
そんなメビウスの輪のような街。
狭くて奥が深い街。

 

ユダヤ教特有のスタイルの人たちが壁に染み入るように祈りを捧げ、
キリストが十字架を背負って歩いたドロローサ(苦難の道)を、巡礼者の群れが賛美歌を歌い、時には涙を流しながら通り過ぎていく。
モスリムの祈りの時間を知らせるコーランがそんな街の中に大音量で響き渡る。

 キリストが十字架を背負い歩いた苦難の道

同じ空間にいる人間でいながら、決して触れることのできない異次元にいるような、そんな感覚に襲われていく。

   聖母マリアの生家

それぞれの聖地がここにあり、この地を共有し、諍いやテロなどがおこりながらも肩を寄せ合いギリギリのバランスで成り立っているエルサレム。
ここはここでしかない、唯一無二のエルサレム。
かつて国連がバチカン市国と同じ扱いで、エルサレムも1つの国として認めようと指示したことが、やはり1番正しいことだった。
トランプ大統領が、ここはどこかの国の首都だなどと軽々しく言い放っていいような範囲ではない神聖な場所。
あの人もここへ来てみればいいと思う。
ここの空気を吸い、人々を眺め、
街を徘徊してみる。
そうすれば、ここがどこにも俗せない、そんな当たり前のことがすぐにわかるはずだと思うから。

 


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